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免疫力と院内感染

歳をとると、身体のあちらこちらに痛み、凝りなど、または何となく不快感を覚えることが多くなる。
そうした不定愁訴はお年寄りの不安感の源泉であり、病院通いをする大きな理由となる。
だからどの病院に行っても、外来はお年寄りが多い。
身体に不具合を感じたら、何はともあれ病院に行って医者と話ができれば、不安感の解消になるのである。
病院の外来には、いろいろな患者さんや付き添いの人が来る。
とにかく一応病院通いをしている人、1週間くらいの飲み薬で症状が軽快する人、症状は重篤ではないが簡単には治らないことを知っている人、かかりつけの医者に紹介されて精査を受ける人、病人に付き添ってきた人など、いろいろな人で外来はごった返している。
そして、病室には、いろいろな病気の患者さんが入院している。
何らかの感染症にかかっている人もいて、中にはかなり重症の場合もある。
結核などの伝染性の強い感染症思者は隔離されているが、通常の細菌に感染した病巣を持つ患者さんは病室にはたくさんいる。
しかも、抗生物質を投与されていることが多いから、中には抗生物質に耐性のある菌やウイルスであることもある。だから、病院に行ったら感染する可能性が高いということは、誇張ではない。

病院側も院内における感染の可能性の高さを十分に認識しており、感染対策チームをつくって、外来、処置室、病室、トイレなどを巡回して、問題点の有無を点検している。
点検作業は複数の職員がチームを組んで、粗捜しのように、細かい点を見て回る。
月に1回はその点検結果を持ち寄って、感染対策委員会を開催して検討し、間題点を改善するように努めている。
そのような注意深い点検作業をやっていても、細菌検査をすると、散発的ではあるが、MRSAなどの多剤耐性菌が引っかかってくることがある。

当たり前の話ではあるが、感染は免疫力の低下した人に起こりやすい。
日和見感染という言葉がある。
健康な人では感染症を起こさないような、弱毒徴生物・非病原性微生物・無害菌などと呼ばれる病原体が原因で発症する感染症である。
病院に入院している高齢者、いろいろな基礰疾患を持っている人、抗がん剤の投与を受けている人、自己免疫疾患で免疫抑制剤を服用している人。
どの場合でも、免疫力が低下している患者さんが多い。
免疫力が低下していれば、健常人とは違って、ひょっとしたことで日和見感染を起こしやすいし、それが院内で広がれば、院内感染が起こったということになる。

がん患者の免疫力を調べてみると、健常人に比べて免疫カか低いことか分かる。
がんが見つかり手術適応があれば、病巣を外科的に摘出することになるが、この外科手術か思者さんにはかなりのストレスとなり、免疫力はさらに低下することになる。
術後に残存したかもしれないがんに対して、化学療法を施行することもある。
また、手術適応がない場合には、抗がん剤を用いた化学療法が治療の大きな選択肢となる。
化学療法はがんを殺傷する目的で行うが、この療法の最大の副作用は免疫力の低下である。
したがって、化学療法を行っている患者さんでは注意深く免疫力をチェックする必要がある。
それは、白血球の数だけでなく、リンパ球の数、そしてその中のT細胞などの免疫担当細胞の数もしっかりとモニターすべきである。
しかし、残念ながら、それらの測定をやっているところは少ない。

現在は高齢化社会である。どの病院の外来に行っても、お年寄りの多いのが特徴である。
そして、入院している患者さんも、お年寄りの占める割合が高い。
高齢者の特徴の一つは、免疫力が低下していることである。
それに病気が加わるから、免疫力はさらに低下していると考えて間違いはない。
こうして見ると、病院の中では、感染が起こりやすく、さらに広がりやすい状況になっていることが分かる。
いつ院内感染が起きても不思議はない状態なのである。
院内感染はたまたま起こるのではなく、必すいつかは起こると考えるべき状況なのである。

話は少し飛ぶが、マウスを用いて、免疫系機能の実験をする時は、X線照射などをしてマウスの免疫機能を低下させた状態で行うことがある。
また、遺伝子操作をされた遺伝子改変マウスは免疫機能が脆弱にできている。
そのため実験を遂行するには感染か起こりにくいクリーンな環境を人工的につくって、その中で飼育する必要がある。
免疫学的研究以外の実験でも、そうしたクリーンな環境で飼育することが望ましいから、異なる実験が雑居状態になることがある。
その中で飼育環境に徴生物学的な問題が起こった時に、最初に感染を起こすのは免疫カの低下しているマウスである。
あたかも、免疫実験で使っているマウスが感染を持ち込んだように見られる。
しかし実際は、免疫カの低下しているマウスは、その時の環境にある病原菌を拾いやすいだけなのである。
病室でも同じことが起こる。
免疫力の低下した患者さんが、環境中の病原菌を拾いやすいのである。
最近問題になった多剤耐性アシネトバクター菌は、本来土壌内などに生息する弱毒菌で,病院内では床や流しから藷通に検出される。
健康な免疫力の正常の人には無害であるが、免疫力が低下していると感染し、菌の産生する毒素で重篤な症状をもたらすことがある。

感染病棟というのが病院内にある。
それは結核などの病原菌を保有している患者を入院させるところである。
条例を見ると、工ボラ出血熱、マールプルグ病、ラッサ熱、SARS(重症急性呼吸器症候群)、ポリオ、ジフテリアなども対象となる。
この病棟の病室内の空気は外に出ない仕組みになっている。
これから必要なのは、免疫力が弱った思者さんを対象とする、感染予防病棟である。少なくとも、個人単位で使える無菌テントが必要であろう。
私の友人のK教授は免疫学が専門であるが、感染を予防するために車椅子用の感染予防テントを作成した。これがあれは、免疫力の低下した患者さんでも病院内の移動を安全にできる、きわめて便利な車椅子であり、もっと利用すべきである。
病院で亡くなった患者さんの死因は、病理解剖で明らかにされる。
そのデータを見ると、死因のトップは感染症であり、脳・心臟の血管障害、がんがそれに続く。
がんで亡くなる患者さんの半分に感染症が合併していて、がん患者の20%はがんではなくて、感染症が直接死因となっている。
このことは一般の人々にはあまり知られていない。

ペニシリンから始まった抗生物質の発見は、人類に多くの恩恵をもたらした。
フレミングがブドウ球菌の培養中に紛れ込んだ青カピが、菌の生育を阻止することを発見したのは、1929年である。
そして、10年余りで臨床に応用され、第2次世界大戦中に多くの兵士を感染症から救った。
第2次世界大戦後になって世界中で使われるようになり、感染症が激減した。ところがペニシリンが用いられるようになると、ペニシリンに対する耐性を新たに獲得したべニシリン耐性菌が出現した。
そしてそれ以降、いろいろな作用起点の異なる抗生物質が開発された。
日本では1980年代以降、主力抗菌剤の座をセファロスポリン系抗生物質やニューキノロンに明け渡した感がある。
しかし、それらは常に新しい耐性菌の出現を伴った。原因の一つは抗生物質の乱用である。

NDM-1という特殊な用語が新聞に出てきた。
これはNew Delhi Metallo-beta-lactamasの略称で、その酵素を持っている菌は広範囲の抗生物質に耐性を持つ、多剤耐性菌である。
酵素の名前にNew Delhiとあるように、New Delhiの病院で2009年の12月に最初に発見されたものである。
その後、パキスタン、イギリス、アメリカ、カナダでも報告され、ついに日本でも見つかったということで、間題になっているのである。
抗菌剤が効かない細菌を「薬剤耐性菌」といい、複数の抗菌剤が効かなくなれは、「多剤耐性菌」ということになる。
細菌も生き物であり、自らの生存をかけて戦っているのである。細菌の特徴は変幻自在で自らの性質を変えることができることである。
身体の中で細菌が生き残ってしまうような中途半端な治療を行うと、薬剤耐性菌の出現を増長することになる。

ペニシリンをはじめとする抗生物質、抗菌剤の効果が劇的であったために、人類は感染症を克服したかのように思いこんだ。
病気といえば、がん、脳・心臟の血管障害がトップ3になっているが、地球規模で見てみると、死因の3分の1は感染症であり、がんに罹った人の20%は感染症で亡くなっているというのが事実なのである。
抗生物質・抗菌剤が効くのも、その患者さんに免疫系の機能が残存していればの話である。
病院とは免疫力の低下した患者さんが集まってくるところである。感染しやすい人が集まっているのだから、どこでも感染を拾いやすい状況にある。
そして、それが横に広がれば、院内感染になる。そうした認識を十分に持って、感染に対抗するシステムをしつかりとつくる必要がある。
そして、患者さんの個々の免疫力をチェックするシステムも必要であろう。
病院が感染症を媒介する施設になってはならない。今はその危険性が増大していることを肝に銘ずるべきであろう。