病理学からみた自然治癒力
すべての病気は自然治癒力で治るといっても過言ではない。
医療技術はその自然治癒過程を補助するだけである。
骨折の場合を考えてみると分かりやすい。
副木やギブスで支えるのは、骨折後に骨が形成されるのを待つ間の補助である。
手術ができるのも自然治癒力があるからである。
胃がんで胃を切除することにより、病巣が取り除かれ、患者さんは胃がんから立ち直ることができる。
その際、手術をしたあとの消化管の吻合部や皮膚の切開部は自然治癒力で治るのである。
人がかかる病気にはいろいろある。
それは内科の教科書にすれば厚さ10cmを超えるものになる。
その多種多様な病気の中で、首座を占めるのは感染症である。
ペニシリンの発見から始まった抗生物質は感染の進行を抑える特効薬である。
しかし、この場合でも、人の本来の感染に対する防御機構、特に免疫系がしつかりしていて、初めて抗生物質の効力が期待できる。
だから、遺伝的に免疫系に欠陥があったり、工イズのようにウイルス感染で免疫機能が十分に機能しない場合には、抗生物質の効果は期待できない。
抗生物質がなかった第二次世界大戦前では、 人の死因の半分以上は感染症であった。
戦後になって、抗生物質が使えるようになってから、免疫力がある程度保持されていれば感染症で亡くなることは少なくなった。
しかし現在でも、免疫力の低下していることが多い高齢者に限ってみれば、その死因のトップは感染症である。
考えてみると、抗生物質がなくても長い間、 人類は存続してきた。
古代人にとっての脅威は自然災害、猛獣からの攻撃、部族間の戦いなどいろいろあったろうが、第一は感染症であった。
免疫系の機能が強く、感染に対抗することができる人たちが生き残ってきたといえる。
言い換えれば、免疫系は人の自然治癒力の中核にあり、人類の中で自然治癒力の強い人々が存続しているともいえる。
厚生労働省の最近の報告を見ると、死因のトップ3はがん、心欠患、脳血管障害となり、肺炎は4番目に出てくる。
がんと血管障害は自然治癒力とは関係がないように思える。
しかし、がんも自然治癒力の対象である。
がんも発生したはかりの芽の段階で免疫系に察知されれば、摘み取られてしまうと考えられている。
だから、免疫系の機能が高い若齢者では、がんが発生することは少ない。
血管障害も炎症と関連している。
炎症を抑えられる若年者では、動脈硬化も進行しない。
つまり、自然治癒力は加齢と共に変化する。
皮膚のキズ一つとっても、高齢者になると治りにくくなる。
加齢変化の多くは壮年以降にはっきりするものが多い。
免疫系の加齢変化の始まりは意外と早く、20歳代を過ぎると始まり、ビークレベルに比べると、40歳代で半分、70歳代には10分の1に低下することもある。
免疫系は感染病原体に対抗するだけでなく、身体の中の温度、水分量、pH、などの内部環境を整えるうえで大きな役割を果たしている。
つまり、免疫系は内分泌系や神経系と協同してホメオスターシスを維持している。
免疫系の作るサイトカイン類、内分泌系の作るホルモン類、神経系の作る伝達物質類は、これらの3つの系で共通に働いているものが多いのである。
免疫機能の低下した高齢者では自然治癒カが低下している。
前述のように厚生労働省の報告によれば、日本人の3大死因はがん、心 血管障害、脳血管障害である。
そして死後の 解剖所見の報告を見ると、高齢者の直接死因のトップは感染症である。
そして、がんで亡くなった方々の直接死因を見ても、20%はがんではなくて、感染症で亡くなっている。
約半世紀前、団歳代であった方々の多くが、抗生物質の登場と栄養状態の改善により、免疫系の能力が改善され、80歳代まで生きられるようになった。
しかしこの80歳代になって、免疫機能の高度の低下が再び問題になってきたのである。
しかし80歳代の方々をよく見ると、個人差が強く、免疫機能が十分に保たれている人も少なくない。
そうした人たちは、さらに元気で長生きすることができる。
高齢であっても免疫機能が保たれている方々は、遺伝的にそういう体質を持っているのであろう。
しかしそれだけでは、十分ではない。
健康的なバランスのとれた食事、ストレスの少ない生活、適度な連動などからなる堅実なライフスタイルが大事なのである。
医療技術の発達により、人類の存続の条件が変わってきた。
本来なら、存続できなかった人でも、医療技術の発達により生き残ることができるようになってきた。
低体重で生まれた未熟児も発達した新生児医療により、成長できるようになった。
免疫力が低く病気になりやすい幼小児も存続できるようになった。
自然治癒力が強い人が必ずしも芸術的センスに優れているとか、科学的センスが豊富とは限らない。
しかし、医療技術の進歩により、 本来なら存続できなかった人も生きながらえることができるようになった。
その中には、いろいろな才能を持つ人も含まれる。
それが、 現在のような人間社会の発達につながったのかもしれない。
では、自然治癒力とは何かと聞かれれば、 細胞レベルでは、再生能力である。
また、組織・臟器レベルでは、種類の異なる機能の統合能力である。
そこに働くのは、神経系、内分泌系、免疫系である。
自然治癒の過程が一番よく分かるのは、切りキズができた時である。
まず、我々の環境にはいろいろな細菌・徴生物がたくさんいる。
キズができれば、出血が起こるが、同時に感染が必ず起こる。
そこで消毒を怠ると感染が進んで膿ができたりするが、 1週間もすれは、膿がなくなり、出血による赤みも減って、青から黄色くなる。
うまくすれば、跡形もなく治ることになる。
キズか治るということは、そこで死んだ細胞を処理し、必要な複数の異なる細胞が再生するということである。
この細胞再生能が、自然治癒の根幹となっている。
筋肉細胞、内分泌細胞、神経細胞は再生しない。
また、肺組織や腎組織等も再生しない。
再生しない組織や臟器で、病変が起きて、それが治る時は、元の組織とは異なった組織で埋め合わせか起こる。
埋め合わせが起こる時は、まず、毛細血管と線維芽細胞からなる肉芽組織が形成され、それは、時間と共に線維細胞主体となり、いわゆる搬痕組織となる。
心筋は再生能力がないから、梗塞で細胞が死ぬと、線維細胞からなる癜痕組織に置き換えられる。
神経細胞は再生能力がないので、脳内でキズが治る時は、グリアが再生するので、グリア細織による瘢痕が形成される。
肺炎が起こったあと滲出物か吸収されれば跡形もなく治るが、不完全な吸収だと、線維性の瘢痕組織で置き換えられる。
肺で怖いのは増殖する線維細胞が呼吸スペースを潰していく肺線維症で、これは自然治癒力が過剰に進行する状態ともいえる。
組織の中で再生が起こりやすいのは、骨髄組織、皮膚の表面を覆う上皮細胞、消化管の表面を覆う上皮細胞、骨組織そして肝組織である。
これらの中で、皮膚、消化管の上皮細胞は毎日少しずつ置き換わっている。
健常人の場合、皮膚細胞は約28日、小腸上皮は3 ~ 5日で置き換わっていく。
ミクロの世界で見ると皮膚表皮の基底細胞が少しずつ分裂増殖ししだいに上層に移動し、やがて角化し垢となって落ちていく。
小腸では、 陰窩というくぼみがあり、その深いところで常に細胞分裂が起こり、上の細胞を押し上げ、少しずつ陰窩を上り、外へ出て剥げ落ちていく。
骨髄組織は血液中の赤血球と白血球の供給を常に行っている。
赤血球は約120日で寿命が尽き、置き換わっていく。
白血球では顧粒球(好中球)とリンハ球が主役だが、顧粒球は健康状態では2週間くらいの寿命である。
でも感染などが起これば、2 ~ 3日で寿命が尽きる。
リンハ球の形は単純だが、いろいろな亜集団からなり、主役はT細胞とB細胞である。
それぞれ、抗原に対応して何億種類のクローンからなっている。
抗原に接して、分裂増殖し、活性化し、数が増えて、機能を果たし終えるとその大部分は死ぬが、一部はメモリー細胞として長生し次の感染に備える。
抗原に接しないリンハ球はクローンのサイズは小さいまま10年でも20年でも生きる。
ターンオーバー(置き換わり)をしない細胞もたくさんある。
筋肉細胞、神経細胞はその代表である。
でも、この場合でも物質代謝により、細胞の構成成分は常に置き換わっている。
言い換えると、身体のすべての細胞は細胞そのものあるいは細胞成分の置き換わりのうえに成り立っており、これが自然治癒カの基本となっている。
こうして見ると、人の身体は、きわめてダイナミックな状態にあり、細胞レベルや物質レベルで見ると、常に動いている。
昨日の身体は、今日の身体とは違うともいえる。
そのダイナミックな動きの中では、内部環境の恒常性(ホメオスターシス)が重要である。
そのホメオスターシスを維持するうえで、重要な役割を果たしているのが、自然治癒力であり、そこでは自律神経を含む神経系、内分泌系および免疫系が主役を占め、健康維持の基盤となっている。