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痛みについて

我々の生きている環境には数えきれないほど多種類の刺激があり、我々は良くも悪くもそれらの刺激なしには生きられない。 
刺激の中には、入浴のように気持ちの良いものもあれば、一方、ケガをした時や蜂に刺された時の痛みのようにとっさに避けたいものもある。 
痛みは不快情動につながり、身を危険から遠ざける生体防御に必要不可欠なシグナルといえる。 
痛みは、皮膚、筋肉などの身体の外側の場合と、頭痛、内臟痛のように身体の中に発生するものがあるが、日常では後者の方が多く、医者に行くきっかけとなる。 
 
患者が医者に訴える心身の不調のことを愁訴という。 
英語ではコンプレイント(com-plaint)といい、辞書で調べると「訴えたい病状」と分かり易く説明されている。 
訴えたい病状は感覚的で主観的なものであリ、外から見て分からないことが多い。 
 
こうした病状の中で圧倒的に多いのは痛みである。 
痛みは発生部位により表在痛、深部痛、頭痛、内臟痛に分類されている。 
表在痛は皮膚の痛みで、痛点は他の感覚点(圧点、温点、冷点など)と比べて分布密度が高い。 
深部痛は関節、筋肉、骨膜に生ずる。 
 
頭痛は背景に病気があるものとないものがある。 
内臟痛で多いのは腹痛であり、腹部の内臟に分布する神経終末が刺激されて起こる。 
病みは同じ場所でも、種類、程度、持続時間などは千差万別であり、個人差の大きいものである。 
痛みを感ずるか否かは、閾値のレベルに関係し、閾値が低ければ痛みを感ずるか否かは。 
その痛みの閾値にも個人差がある。 
 
痛みは主観的な訴えであり、外から見て分かることは、痛そうな表情である。 
例えば胃が痛いといっても、刺すような痛み、重い痛み、単なる違和感などいろいろである。 
訴えられた医者は、押すと病みは変わるかどうか、食事との関連性、体を動かした時の変化などを尋ねるが、いずれにしても、痛みの程度や種類は思者の訴えに頼るしかない。 
医者は患者の訴えを聞き、それを説明でき る客観的な所見を得るために、血液検査、CT、MRI、心電図などで客観的な所見を得ようと努力する。 
それで痛みの説明ができれば診断に到達し、的確な治療を施すことができる。 
 
局所の痛みが原因となる場所と異なる場合がある。 
例えば、胃痛あるいは心窩部痛が心 筋梗塞の症状として起こることもある。 
関連痛という。 
適切な判断がないし取り返しのっかない結果となる場合もある。 
事実、胃潰瘍と診断され、まごまごしている間に患者さんが亡くなり、病理解剖で心筋梗塞が発見されたこともある。 
胃痛があれば内視鏡検査を行うことになる。 
それにより、糜爛、潰瘍あるいは場合によっては腫瘍が見つかったりする。 
 
一方、強い胃痛があっても、内視鏡で見ると、胃粘膜の発赤がある程度で大きな病変がないこともある。 
内視鏡で観察したあと、多くの場合、粘膜の一部を生検して病理組織学的に診断することになる。 
顕徴鏡で見ても、多くの場合はいわゆる粘膜内の浮腫、軽い炎症のあるいわゆる胃炎の所見である。 
 
最近多いのは、ピロリ菌の感染を伴った胃炎である。 
この場合には、粘膜表層の上皮が剥離し、炎症の程度が強い。 
実際に桿状のピロリ菌が見つかることが多い。 
内視鏡的に観察し、がんの疑いを持たれて採取された場合には、半数以上にがんが見つかる。 
 
逆に、がんと疑われても半分位は問題ないことになる。 
一方、全く疑いがなくても、 念のために取られた織からがんが発見されることもある。 
早期胃がんは定期健診で見つかることが多い。 
したがって、本人が気付くような症状はない。 
 
しかし稀に胃の違和感を覚えて、調べた結果、早期買がんが見つかることもある。 
敏感な人であれは、胃の粘膜内病変でも感しることもあるらしい。 
病理側から見ると、外科から提出される手術材料も昔と比べるとずいぶん様変わりした。 
昔は胃潰瘍で胃を切除することは通であった。 
しかし1970年代の後半になって、シメチジン(ヒスタミンH2受容体拮抗剤)が開発され、類似の薬剤がどんどんと使えるようになってから、胃潰瘍の頻度は激減した。 
ヒスタミンが青酸の分泌を促進し、それが消化性胃潰瘍の主因であることは知られていた。 
しかし、ヒスタミンの拮抗物質では胃酸分泌を抑えることができなかった。 
その時に、ヒスタミンH2受容体をプロックする薬が開発され、それで胃酸の分泌を抑えることができるようになり、胃潰瘍が減った。 
 
胃潰瘍の原因の多くはストレスである。 
ストレスは現代社会では避けることのできないことであり、年ごとに増えることはあっても減ることはない。 
ストレス性の胃潰瘍はH2受容体拮抗剤で激減したが、逆に増加しているのがうつ病である。 
うつ病はある意味でこころの痛みの病気である。 
ストレスにより脳内のセレトニンやドバミンなどの伝達物質の分泌異常、代謝異常により起こると理解されている。 
これらの伝達物質の受容体をプロックする化学物質がいろいろと開発され、かなりの効果が見られている。 
 
しかし消化性胃潰瘍が激減したように、うつ病が減っていないのが現状である。 
早期胃がんが見つかっても、必ずしも手術的に腹部を開いて胃を切除するわけではなくなった。 
胃がんの種類や広がりによっては、内視鏡的に粘膜を切除する技術を用いることができる。 
それがFSD(endoscopic submucosal dissection:内ネ竟的粘膜下層剥離術)といわれる方法である。 
 
胃は上皮細胞からなる粘膜層、粘膜筋板、粘膜下層、固有務層、漿膜からなる。 
悪性度の低い高分化の胃がんで、粘膜下層にまで浸潤が及んでいなければ、ESDの適応がある。 
粘膜の上皮細胞は再生するので、隣接する上皮細胞が広がってきて、ESDで剥離された粘膜を蔽い直してくれる。 
これこそ前回に話題となった自然治癒力の働きである。 
ESDは病理側にとっても、有難い方法である。 
 
全ての例が病理学的に診断できるわけではない。 
場合によっては、診断に迷う例も時々ある。 
その難しい例を「がん」と無理に診断し、胃切除をして、その切除胃にがんがないとなると、誤診となる。 
それは患者さんへの大きな負担となる。 
そんな時に、ESDによる粘膜切除で対処し、組織学的検査ができると、大きな誤診をふせぐことができる。 
手術は生体にとって、大きなストレスとなる。 
内視鏡による粘膜切除だけで完治できれは、胃の機能は温存されるから、高いQOLを維持できる。 
特に高齢者にとっては恩恵が大きい。 
 
ESDは食道や大腸でも、適応があれば好んで使われるが、かなりの技術が必要である。 
大腸がんが年々多くなっている。 
大腸がんも粘膜内に限局した早期の場合には自覚症状はない。 
がんの発見につながる症状として多いのは血便であり、さらに進行すれば、閉塞に伴う腹部膨満感や痛みを伴う。 
こうなるとかなり進行した大腸がんであり、予後も悪くなることが多い。 
 
早期発見のためには、胃と同様に、大腸の定期的な内視鏡検査を行うことが勧められる。 
病理側から見ると大腸内視鏡検査で一番多い病変はポリープである。 
これは粘膜面の細胞が局所的に増殖して、いぼ状になった病変である。 
その多くは、病理学的には線種(アデノーマ)といわれる病変で、がんではないが、放置しておくとがんになる可能性がある。 
ポリープを見つけ次第摘出することになり、大腸がんの発生が低下したという報告がある。 
 
いすれにしても、大腸の病理検査で一番多く発見されるのがポリープであるが、自覚症状はない。 
検査する側、される側の双方にとって、胃内視鏡検査より、大腸内視鏡検査の方が少々面倒であり、技術も必要である。 
大腸は曲がりくねっているから、全面を見たつもりでも見落とすことがありうる。 
いつも完全に見ていれば、3年に一度の検査でもよいであろうが、見落とすことも考慮すると、毎年1度は検査した方が安全ということになる。 
 
さて、痛みの話に戻るが、関節や四肢の痛 みは、外見上変形があり、腫れがあれば、痛みがあると予想もできる。 
しかし外見上特別な変化がなく、また、レントゲン、CT、MRIでも異常が見つからないことが時々ある。 
こうした痛みは主観的な訴えのみで、客観的所見がないので診断が難しい。 
客観的所見がないと、根本的な診断が不可能となり、症状がそのまま診断名となる。 
 
その典型が線維筋痛症である。 
検査上では異常がなく、関節や周囲の骨、筋肉などに痛みが出る病気である。 
疲労感、睡目邸章害、抑うつ感などがあり、ごく最近までは、詐病あるいは怠け病と考えられていた病気である。 
充分な客観的所見に欠けるが、強い痛みがあるのが帯状疱疹後の神経痛である。 
皮膚に疱疹がある時の痛みは分かりやすいが、皮膚症状が消えて、少し時間がたってから痛みが始まるのが、帯状疱疹後の神経痛である。 
 
この場合は以前に帯状疱疹があったことで、帯状疱疹後の神経痛と診断が付くが、痛みそのものに関連する客観的所見はない。 
痛みのシグナルは四肢体幹であれば感覚神経線維を通って脊髄に行き、そこから上行し、脳皮質に至り、痛みとして感覚される。 
痛みを感ずるか否かは、閾値の高低で決まるが、その閾値は個人差が強い。 
痛みを感ずるか否かにかかわらす、感覚神経線維を伝わる徴弱なシグナルを測定できれは、痛みを客観的に捉えることができるようになる。 
 
最近、脊髄からの神経線維を画像として映すことができるようになったが、そこを通るシグナルについては、まだ捉えることはできない。 
それが可能になれば、患者の主観としての痛みが、客観的所見として捕捉できるが、それは将来の重要な課題と思われる。 
 病みは生物にとって、生存を左右する基本的なシグナルである。 
その最も原始的なものは単細胞生物であるアメーバにもあるはすである。 
それは単純な細胞の歪みからもたらされるシグナルであろう。 
 
生物の進化に従い、細胞が多様化し、機能も分化するに従い、感覚も多様化した。 
視覚、聴覚、嗅覚、味覚のような特殊感覚については、対象は他人にも共通していて客観化されているように見える。 
しかし、どんな風に見え、聞こえ、香りがし、味がするかは本人しか分からない。 
平衡感覚に至っては、全く本人の感覚次第である。 
 
原始的感覚である痛みは情動とも密接につながっている。 
その痛みを客観的所見として得られることが可能になれば、病状の把握もより正確にできるようになると期待する。