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60兆の細胞のハーモニー

人のからだは約60兆の細胞からなっている。 
   
細胞 1 個を10ミクロン(10x10-6m)、人の身長を160cm(1.6m)とすると、細胞と人の大きさは10万倍(105)程度の差がある。 
つまり、細胞を 16万個程度並べると、人の大きさくらいになる。 
それら多くの細胞は人の意志とは無関係に意識外で機能している。 
人は自分の手、足、首、身体全体を自分の意志で動かすことはできるが、細胞一個々々の動きをコントロールすることはできない。 
 
 
60兆もの細胞は腎臓、肝臓、腸管、皮膚、血液、筋肉、骨などいろいろな機能を担当しているが、どれ一つとっても人の意志でコントロールできるものはない。 
細胞の動きは主として周囲の細胞間の環境の変化と周囲の細胞からの情報により左右されていると云える。 
細胞周囲の環境をコントロールしているのは、自律神経と血管やリンパ管の脈管系である。 
脈管系からは酸素と栄養のほかに、ホルモンを含むいろいろな細胞間伝達物質が届けられる。 
ここに人の意志の入る余地はない。 
筋肉細胞については、意志で動かせるように思えるが、動かせるのは筋肉群であり、意識外で動く筋肉の方が多いくらいである。 

例えば、ある方向に向かって歩くという意志は持てても、歩くという行為は無数の筋肉が統合的に動くことである。 
その働きは神経系のシステムによるものであるが、意識外である。 
 
 
歩き初めの子供や脳卒中後でリハビリ中の病人は、歩く時に、足の動きを一歩々々気にして意志で動かすが、決してスムースな動きはできない。 
健康な人は歩く方向を決めれば、手足の動きを気にせず、スムースに歩くことができる。 
もしあえて、足や手の動きを気にすると、ぎごちない動きになる。 
筋肉の動きをはじめとして、人体の中で行われているほとんどの機能は意識外のものである。 
心臓は一分間に60回前後拍動しているが、その動きは我々の意志のままには行かない。 
びっくりして心臓がドキドキしても、呼吸を整えて気を静めることはできるが、心臓の鼓動を自分の意志で元に戻すことはできない。 
肺の動き、つまり呼吸は意志である程度コントロールできるただ一つの臓器である。 
肺呼吸は胸郭の動きで行われるが、この胸郭の筋肉は魚の鰓を動かす筋肉と同じである。 
つまり、自律神経系で動くと同時に、中枢神経の支配下にもある。 
短い間であれば、呼吸を止めることも、また、早くすることもできる。 
逆に云えば、呼吸を通して、ある程度自律神経系の動きに割り込むことができるただ一つの入り口ともいえる。 
例えば、2-3回深く呼吸するだけで、血圧はある程度下がるし、脈拍も鎮まる。 
スポーツ選手が集中するときに、まず整えるのは呼吸である。 
また、座禅やヨガにおいて、重要な役割を果たすのも呼吸である。 
呼吸を通して、意識外にあるいろいろな機能のリズムを同期化しようと試みているのである。 
 
 
食事をすることは、我々の意志でコントロール出来る行動である。 
しかし、それも多くの場合、視床下部の食欲中枢の支配下にある。 
一般的には血糖レベルの低下で誘導される空腹感を感じなければ、食べるという行動は始まらない。 
しかし、目の前に食事があり、空腹感があるのに食べないという行動は意志の力である。 
食べてしばらくすると、脳幹部の満腹中枢からのシグナルが来て、お腹がいっぱいになったと感じて、食事を終える行動に入っていく。 
食事という行動も、人は自分の意志のままに動いているようでも、基本的には血中の糖分のレベルに支配されている。 
ただし、メタボリックシンドロームを恐れて、途中で食べることを止めることは可能であり、これは意志の力である。 
 口に入れた食べ物を良く噛むか、適当にするかは自分の意志でコントロールできる。 
しかし、噛むという動きは舌や上顎、下顎の筋肉の調和のとれた運動に依存している。 
この動きも神経系のシステムによるものであり、意志のコントロール外にある。 
「呑み込む」と決めるのはある程度の意志が働くが、ある程度まで進行すると、もとには戻れない。 
自動的に先に進むしかない。 
それでも、どうしても元に戻したいときは、指をのどに入れて、吐くしかないが、この嘔吐も反射運動である。 
吐き出したいという行為もほとんどの場合、意志というよりは気分が悪くなるからである。 
食べ物が胃に入ったあとの消化から排泄までは、もはや人の意志のコントロールは及ばない。 
それどころか、消化が悪かったり、排泄が早まれば、気分が悪くなったり、人特有の知的活動も出来なくなる。 
消化管の働きが逆に我々の人としての動きに大きく影響するのである。 
知恵とか精神、創造といった、人に特徴的な活動も、消化器の動きに敏感に左右される。 
肝臓の働きも人の行動に影響を与える。 
飲んだアルコールは肝臓で、アルコール分解酵素によりアセトアルデヒドに分解され、さらにアセトアルデヒド脱水素酵素により、水と酢酸に分解され無毒化する。 
このアセトアルデヒド脱水素酵素の能率が悪いと、血液中のアセトアルデヒドの濃度が高くなり、悪酔いのもととなる。 
このアルコール分解の働きも人の意志のコントロール外にある。 
酒を飲むか飲まないかは意志の決定するところである。 
しかし、ある程度でやめるという意志が働かなければ、飲みすぎることになる。 
その結果、悪酔いになれば、人間らしい活動はできなくなり、仕事に支障を来すことは珍しくない。 
つまり、この場合は肝臓の働きが、人の知的活動を抑制するといえる。 
肝硬変などになり、肝臓の働きがさらに悪くなると、血中のアンモニアが上昇して、脳も正常に働くことができなくなる。 
  
 
腎臓も正常に働いていれば問題はない。 
それでも、尿意は我々の意志とは関係なしに起こり、トイレに行かざるを得なくなる。 
英語では Nature calls me(自然が呼んでいる)といってトイレに行くらしい。 
しかし、いろいろな原因で、腎機能が低下することもある。 
今一番多いのは、糖尿病性の腎障害かもしれない。 
腎機能が低下すると排泄されるべき尿素窒素が血中に増える。 
そうなった状態を尿毒症というが、この場合も脳だけでなく様々な臓器に悪影響をもたらす。 
この腎機能も人の意志のコントロール外にある。 
食事をすることから排泄まで、一見、我々の意志のままであるように見えるが、実は消化器や腎機能の動きからくるシグナルの方が先で、我々はそれに従っているだけである。 
つまり、我々は知的生物として偉い顔をしているが、その実は、いろいろな臓器・組織の働きに依存し、コントロールされていると云える。 
だから、どこかの臓器・組織に異常が起これば、人間としての、社会活動や知的活動は、たちまち、出来なくなる。 
どこかの国のリーダーが、突然止めたのも、身体の不調が大きな要因になったであろう。 
この身体の不調は、もとをただせば、細胞のハーモニーの不調である。 
それは結局、外からの過剰な刺激、つまり感染やストレスが原因となっている。 
 細胞間のハーモニーを保つ上で重要な役割をはたしているのが、神経系、内分泌系、免疫系である。 
その中で免疫系は感染に対抗する組織・細胞系として役割が第一である。 
しかし、最近になって、免疫系の細胞が神経系の伝達物質やホルモンの受容体を持ち、さらには、伝達物質やホルモンの一部も作ることが分かってきた。 
つまり、免疫系は神経系・内分泌系と一緒に活動し、身体の内部環境の恒常性の維持、つまり、ホメオスターシスに重要な役割を果たしているのである。 
 ホメオスターシスを乱すものは、身体の外からの刺激である。 
「乱す」といっても、身体にとって、ある程度の刺激が入ることは必要であり、適度にホメオスターシスが揺れ動くのも生きている証でもある。 
実際に、人の成長期には、神経系への刺激や免疫系への刺激が必須である 。 
 
 
過度の刺激が入ると、神経・内分泌・免疫系による調整が追いつかず、内部環境の恒常性に「ずれ」が生じる。 
たまに「ずれ」が起こっても、やがては元に復帰するが、過度の刺激が連続すると、「ずれ」が、なかなか元に戻らなくなる。 
それが体調の不全であり、疲労であり、人によって様々な不定愁訴として起こってくる。 
 不定愁訴を訴えて、医師を訪れ、MRI、CT、超音波で異常が見つかることは少ない。 
せいぜい、血圧が少々高いとか、中性脂肪、血糖、尿酸などに軽度の異常が見つかる程度である。 
 そういう時に、免疫力を測定してみると、低下している例が多い。 
免疫力はリンパ球を対象として、生(なま)の機能状態を見るので、ストレスなどの影響が反映されやすいのである。 
 人間は知的生物として、自分の意志で行動し、ものを考え、創造的な活動をする。 
そうした行動や活動は60兆の細胞の正常な活動を基盤としている。 
しかし、人間が自分の意志で行う行動は60兆の細胞の許容範囲を越える場合も少なくない。 
そうなるとそれは、過剰な刺激、ストレスとなり、細胞のハーモニーに異変を来すことになる。 
 細胞からのフィードバックは時々意識の中に入ってくる。 
消化器系で云えば食欲や排泄欲は健康の証である。 

しかし、食欲の減退や下痢は乱れのサインであり不健康のシグナルである。 
また、神経・内分泌・免疫系からのフィードバックは倦怠感や疲れであり、不調のシグナルである。 
 不健康、不調のサインがあれば、休養すべきであるが、複雑な人間関係の多い現代社会ではそんな余裕はない場合が多い。 

人類誕生以来、100万年を越えているが、ここ最近100年ぐらいは、想像を絶するほどのストレスに満ちた社会になってきた。 
不健康なサインに気づいても、対処できずに暮らすことが想像以上に多い。 
人はひとりでは生きられない弱い生き物であり、ある程度の群れを作らざるをえない。 
しかし、1000万人以上もの人間が群れを作り、多種類の文明の利器を使い、複雑な心理的葛藤を背負いながら、生活することは人間のDNAにとっても想定外のことに違いない。 
  
 
交通、通信、電気、学校、会社など現代社会において使われる道具、組織は極めて便利であり、能率良くできている。 
でも、それらが身体を構成する60兆個の細胞にとって、心地良いかどうかは疑問である。 
音楽、絵画、工芸のような文化的活動は、60兆の細胞の動きとある程度関連したものである。 

しかし、文明というものは、その成り立ちから見て、身体を構成する細胞の都合を考えているとは思えない。 
文明は発展すればするほど、ストレスをもたらすことが多くなるといっても過言ではない。 
ストレスといえば、そのほとんどが精神的なものであり、人と人との間の葛藤の中に生ずるものである。 
感覚器から入り神経系を通ったストレスの影響の受け手になるのは60兆の身体の細胞である。 

中でも、影響を強く受けるのは消化器であり、免疫系の主役であるリンパ球である。 
自分の意志が身体の中で一番上位にあると信じている人間は、60兆の細胞の都合とはお構いなく行動する。 
そのために、60兆の細胞のハーモニーに不協和音が出ることも少なくない。 
不協和音の出ることが少ない人、或いは気づかない人は、現代社会で勝ち組に属し、一方、不協和音が出やすく、また感じやすい人は負け組に属すると云えるかもしれない。 

いずれにしても、不協和音を手っ取り早く察知できるのは、免疫系のリンパ球である。 
過剰なストレスに曝され、免疫力が低下すれば、いろいろな病気が発生しやすい状態となる。 

そうした状態を早く見つけて、対処することが健康維持には必要である。 
つまり、免疫力判定が、細胞の心地よさの度合いを知ることとなり、病気の予防に重要なモニターとして使えるのである。